人間はみな同じ、は大乗仏教の発想

なぜ日本人は、人間はみな同じ、などと考えるようになったのでしょう。それは大乗仏教の影響を受けたからだと断言できます。世界の主要国の国民(西欧諸国、アメリカ、支那、インドなど)は、「人間はみな同じだ」などとは考えていません。それはこれらの諸国に、仏教が普及していないからです。

おしゃか様が活躍していた2400年ぐらい前のインドでは、バラモン教が支配的な宗教でした。バラモン教は人種差別の激しい宗教で、僧侶には純粋の白人しかなれませんでした。おしゃか様はそれを改革して、有色人種も僧侶になれるようにしました。

おしゃか様は、肌の色や習慣の違いがあるということを認めたうえで、人種差別をしてはいけない、と主張していました。ところが大乗仏教になると、肌の色の違いなどは存在しない、と言うようになりました。

人間も動植物も自然物もすべて仏様であって、一体となっていて本当は分けられない、などとややこしい理屈を言い出しました。一体になっているはずのものが、人間や動植物や自然物など別々のものに見えるのは、その人間の心が歪んでいるためだ、というのです。

そもそも自分と他人の区別もありませんから、肌の色・性格・能力の違いなどあるはずがありません。大乗仏教は、人間の一切の違いを認めないのです。この教義によって、日本人は「人間はみな同じだ」と考えるのです。

例えば、日本人の目の前に黒人が現れたとします。日本人と肌の色が全然違い、体格も向こうの方が大きく、言葉も違います。その時に多くの日本人は、当然ながら「自分とは違う」と感じるはずです。

ところがその後で、「自分と相手の違いを感じて差別するのは、良くないことなのだ」と反省し、無理して同じところを見つけて、「人間はみんな同じなのだ」と安心するわけです。

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