人間はみな同じ、と考えているのは日本人だけ

インドには、皆さんもご存じのようにカースト制度という強烈な差別の仕組みがあります。これはもともと人種差別に基づくもので、3000年前に白人のアーリア人がインドに攻め込んで原住民である有色人種を差別したことが起源です。

カーストという言葉は、もともとポルトガル語の「血統」という意味で、それからも分かるように異なったカースト間の結婚はありません。異なるカーストの間に生まれた子供は、「ダリット」「アンタッチャブル」と呼ばれ、カーストの4階級(バラモン、クシャトリア、ヴァイシア、シュードラ)に属さず、徹底的に差別されています。

外国人もカーストの4階級のどれにも属していませんから、インド人から見たらダリットになります。インド人はダリットには何をしても良いと考え、略奪・暴行・強姦などやり放題です。要するに外国人女性の強姦は、伝統的な宗教に起因するので政府もどうしようもないということです。

少し前に、インドで若い女性を強姦した上に焼き殺したり、インドを旅行していた外国人を強姦したりしたというニュースを日本のマスコミが盛んに報じました。しかしなぜこのようなことになるのかという説明は一切ありませんでした。

記者たちがその原因を調べなかったのか、分かっていても報じなかったのか、その辺は分かりません。しかしこの時に日本のマスコミの劣化を私は強く感じました。インドを生産拠点として考えている日本の企業はたくさんあります。その時にこういうことが分からなかったら、後で後悔するようなことがたくさん起きると思います。

キリスト教は、人種差別や宗教差別をします。19世紀に欧米列強はアジア諸国を差別して植民地にしたり、不平等条約を押しつけたりしました。アメリカでは黒人を奴隷にすることまでしました。

このように世界では、「人間はそれぞれ異なり、同じではない。自分たちと違う人間は仲間ではなく、都合の良いように利用しても構わない」と考えるのがむしろ常識です。日本人の「人間はみな同じだ」という考え方が、特異なのです。

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