教科書とは違う視点で仏教を見る

先日、日本の学校は宗教をどのように生徒に教えているのだろうか、ということを知りたくて高校の教科を調べてみました。私が高校生のときの「社会科」は、今は「地理歴史」と「公民」に分かれているのですね。

「公民」では「現代社会」「政治・経済」「倫理」のどれかを学ばなくてはなりません。この三つの内「倫理」が一番生徒の人気が無く、高校生の1割ぐらいが倫理を勉強しているようです。

「倫理」の教科書で、30ページにわたってキリスト教・イスラム教・仏教・儒教・道教の説明があり、そのうち9ページが仏教に割かれていました。内容はしっかりしたもので、必要なことはだいたい書かれている、と思いました。神道の説明はありませんでしたが、おそらく「神道は宗教ではない」と考えたからでしょう。

ただどの教科書もそうであるように、宗教の教義の説明はありますが、それが現代社会にどのような影響を持ち続けているか、は書かれていませんでした。これを書いてしまうと、個々の宗教に対して評価をしたことになってしまい、中立であるべき教育の立場から逸脱してしまうからでしょう。

私はいい歳になってから大学に入り直し、仏教を学んで修士号を取得しました。仏教を学んでいる間に、教義が日本人にどう受け止められ、その行動にどのように影響を与えているか、ということが次第に分かってきました。

結論から言うと、仏教の教えは日本人の心に深く染みつき、今でもその行動に絶大な影響を与えています。ところが多くの日本人はこのことに気づいていません。また仏教の教義にうまく丸め込まれているところもあります。

例えば、「ナムアミダブツ」と唱えれば死後極楽に行ける、ということを日本人はみな知っていますが、極楽が最終ゴールでそれ以上は何もする必要がないと誤解しています。ところが実際は、極楽は修業をする場所であって、「悟りに至る予備校」のようなものです。

こういうわけで、仏教はどういうもので、今の日本にどのような影響を与えているか、を私が仏教について抱いている考えに沿って書いていこうと思います。

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