大日本帝国憲法で「誠」を規定した

大日本帝国憲法は、7章からなっています。
第一章 天皇
第二章 臣民権利義務(自由・平等の権利と兵役・納税の義務)
第三章 帝国議会
第四章 国務大臣及枢密顧問
第五章 司法
第六章 会計
第七章 補則

第三章から第六章は、三権分立の規定です。三権分立は自由と平等の権利を保障するために18世紀の西欧で考え出された手段であって、自由と平等の権利の一部を構成しています。また国民の義務はあたりまえです。

要するに大日本帝国憲法は、天皇陛下と自由平等の二つを定めています。

大日本帝国憲法が制定された時に、明治天皇は先祖の神々(皇祖皇宗)に向かって告文(つげふみ)を読み上げられ、憲法が制定されたことを報告されています。その一部を下記します。

この憲法は、皇祖皇宗が子孫に残した統治に関する教えを具体的な形にしたものに他ならない(此レ皆皇祖皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス)

この憲法の基本原理は日本に昔からあった、と宣言しているわけです。天皇陛下が日本を治めるという伝統は昔からありましたが、自由と平等の考え方も昔からあったわけです。

その自由は、キリスト教のFreedomやLibertyと同じ考え方でなければなりません。違うものだったら、欧米列強は日本を文明国だと認定しないからです。そしてこの自由は、「」と同じ内容です。

平等については後で説明しますが、キリスト教の平等と同じ考え方を規定しています。

欧米の自由はキリスト教の神の教えであり、神がイエス・キリストを通して人間に伝えているものです。一方の誠は、神道の神が天皇陛下を通じて日本人に教えているものです。

伊藤博文が枢密院で、「西欧の憲法はキリスト教を基軸にしている。基軸がなければ憲法は機能しない。日本では、天皇陛下をキリスト教の代わりに基軸にすべきである」という演説が、こういう形で具体化されています。