「国家とは何か」という原点から考えるべき

自由という考え方は、「イエス・キリストと同じ正しい心を持つ人間は、隣人愛を発揮して困った仲間を助けようとする。仲間を助けるという正しい目的のためならば、社会的な法律・掟などを無視しても良い」というものです。

敵が攻めてきて仲間である国民が危険な目に遭っていれば、まともな人間なら誰でも仲間を助けるために敵と戦おうとするでしょう。敵と戦うと敵兵を殺してしまうかもしれません。敵兵といえども人ですから、通常であれば殺人罪になります。しかし正しい目的のためならば、殺人を犯しても構わないのです。これが自由の考え方です。戦争で敵を殺すかもしれない自衛隊員に向かって「人殺し」というのは失礼であるばかりでなく、「自由」という言葉の意味を分かっていません。

「仲間である国民を守るために、敵と戦わなければならない」というのが自由の考え方なので、敵との交戦権を否定するのは、自由の考え方に反します。そして自由という考え方は日本の誠と同じ考え方です。誠の心から考えても、国の交戦権を否定する9条2項はあり得ません。

常識から考えても、社会契約説から考えても、自由や誠から考えても結論は同じで、9条2項は成立しません。

日本国憲法9条2項を削除しようと、安部首相は真剣に努力しています。しかし従来の流れを踏襲して「日本国憲法は成立している」という前提に立っての憲法改正案は、袋小路に入ってしまい、日本の安全保障のためには時間切れで間に合わなくなりそうです。

憲法改正を図るのはそれで結構ですが、時間切れに備えて、「日本国憲法は成立していない」という前提に立ち、「国家は何のためにあるのか」という問題に立ち戻り、解決策を考えることも必要だと考えます。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする