9割以上の人が職を持てない社会にこそ、自由や誠の考え方が必要だ

9割以上の人が、BIのみに頼って生活する社会は、今のアメリカよりも貧富の差がはるかに激しい、超格差社会になるでしょう。

過去にも超格差社会がありました。キリスト教や仏教が生まれた社会は、一方に多くの奴隷を所有する富裕層がいた反面、奴隷もたくさんいたのです。このようなストレスが溜まる社会に生まれたのが宗教です。これに対してキリスト教や神道は、「心を正しくしていれば、何とかなる」という自由や誠の考え方を提案しました。

これから到来する、職を巡る厳しい競争に負けて仕事を持たない人が大多数の社会でも、「なぜオレは生きているのだ」という疑問が意識の表面に浮かび上がってきます。このような時、「自分は神と同じ正しい心を持っている」という自由や誠の考え方は、個人にとって大きな精神的慰めになります。それだけでなく、自由や誠の考え方は他人どうしが助け合う気持ちを社会にもたらします。

AI搭載のロボットによって多くの人が職を失った日本社会では、誠の考え方が今以上に重要になるはずです。その時に移民が日本社会を大いにかき乱すのではないか、と私は心配しています。

今、支那人や朝鮮人など自由や誠の考え方を持っていない民族が、日本の一時的な人手不足に応じて、合法的・非合法に日本に流れ込んでいます。彼らはやがて職を失いBIの給付を受けるだけの者となります。

その費用負担のために、日本にBI制度を導入することが余計に困難になることが予想されます。それだけでなく、他人に対する配慮を欠く行動を彼らが行うことで、日本人の誠の心を破壊する恐れがあります。彼らを日本に入れるのは、長期的に見て日本のためになりません。

各民族は民族自決が原則ですから、彼ら自身で問題を解決すべきで日本に頼ってくるのは筋が違います。「人類みな兄弟」「東アジアの諸民族は、文化を共有しているので、お互いに理解できる仲間だ」などと言っていると、とんでもないことになります。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする