アメリカの自由は、日本の自由と意味が違う

キリスト教には、人種差別を容認する考え方がもともとあります。だから、キリスト教の影響を大きく受けているアメリカ社会では、かつては黒人を奴隷にしていて、今でも人種差別が行われています。

しかし一方で、アメリカは自由の国です。自由と黒人奴隷制度とは、どうやって共存していたのでしょうか。結論を先に言えば、自由(Freedom)という言葉の中に奴隷を容認する考え方が含まれています。日本語の自由という言葉には奴隷を容認する考えなど全然ないので、アメリカ社会で使われている自由(Freedom)と日本語の自由とは、明らかに意味が違います。

宗教改革を始めたマルチン・ルターは、『キリスト者の自由』という論文を書いて、自由の意味を分かりやすく説明しています。欧米の自由の考え方は、ルターが説明している通りの内容で、キリスト教の信仰の本質そのものです。

人間がイエス・キリストを信じると、イエス・キリストは神様にその人間を「良い奴ですよ」と推薦します。推薦を受けた神様は、「イエス・キリストがこれほどまでに褒める人間なら確かだろう」と考え、神様は自分の魂を分けてそれを風に乗せてその人間に送ります(これを「聖霊の働き」と言います)。神様の魂は、その人間の魂に付着します。

神様の魂が付着すると、人間の心は浄められ正しくなります。そのときに初めて、人間は自分の欲望を抑えて神様の教えを実践することができます。その結果、その人間は天国に行くことができます。

もしも人間がイエス・キリストを信じなければ、神様がその魂を分けてくれないので、人間がどんなに努力をしても正しい心になることはありません。つまり、人間はイエス・キリストを信じるだけで良く、他に余計な修業をする必要はありません。

カトリック教会は、免罪符を買えば天国に行ける、と言いました。これに対してルターは、免罪符を買うという余計なことをしても心は正しくならない。イエス・キリストを信じるだけで良いと反論し、宗教改革を始めたわけです。

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