日本人の心は正しくないから力を持ったら悪いことをする、と思い込んだ

キリスト教の「罪」という言葉は、「キリスト教徒らしくない」「キリスト教徒ではない」という意味です。しかしこのような言葉の意味を知っている人は少なく、ほとんどの日本人は「日本人は、今度の戦争で散々悪いことをした」というように思い込まされています。

特にキリスト教の教会の中には、このことを強調するものがあります。キリスト教愛真高校という全寮制の高校がありますが、ここも「日本人は罪を犯した」と盛んに生徒に教えているようです。その高校の卒業生がSEALDsという市民運動組織を作り、安全保障関連の法律に対して激しく反対運動を繰り広げていました。

彼らはキリスト教の立場から、「キリスト教徒でない者の心は、邪悪だ」と考え、「そういう邪悪な心の者が武力を持つと、ろくなことをしない」と考えています。

彼らの反政府運動に呼応したのが、キリスト教に無関係の市民団体です。彼らは宗教に関心などないでしょうが、意外と宗教的な発想をしています。祖父母や学校の先生たちなどの周囲から、仏教的な考え方の影響を強く受けています。

仏教は出家して世間を離脱し、山の中に一人で修業するのが正しい、と考えます。実社会は、仏教の真理に目覚めない低俗な人間に支配されている「濁世」なので、目を離すとすぐに悪いことを始めるのです。

SEALDsと普通の市民団体は宗教的立場が全然違うのですが、「日本人の心は邪悪で、低俗だ」「日本が力を持つと悪いことをする」と考える点では、共通しています。戦国時代から江戸時代初期に日本人が奴隷にされて海外に売られていったことを彼らに教えてやったら、「心が邪悪な者だから、そういう目に遭ってもしかたがない」と答えるかもしれません。

従軍慰安婦は、朝鮮人より日本人のほうがはるかに多かったのです。ところが市民団体は朝鮮人のことばかり騒いで、日本人の慰安婦については一切言及をしていません。彼らは、日本人の心が邪悪だ、と主張するのが自分たちの使命だ、思っているようです。