日本では少なくても1500年以上、神道が続いている

キリスト教から生まれた「自由」という考え方が先進国を作り上げましたが、そのためにはキリスト教の信仰が、少なくとも1000年間はその民族の主要な宗教として継続し、一般の人の心に「自由」の考え方が自然に根付くことが必要でした。

今度は、日本の神道を見てみましょう。神道が今の形になったのは遅くとも5世紀で、西欧でキリスト教が普及したのとほぼ同時期です。伏見稲荷神社や宇佐八幡宮、出雲大社といった大きな神社は、その頃までに創建され、祭祀も今と同じようなものになっていました。そして以後現在まで絶えることなく、神道の信仰は続いています。

なお、伊勢神宮がいつごろ創建されたのかについては、諸説あってはっきりしません。現在のような壮大な神社になったのは、7世紀の後半です。天武天皇(大海人皇子)が、壬申の乱の時、伊勢神宮の前を通って戦勝を祈願したところ望みが叶ったので、立派な社が作られました。ただしそれより以前から、神社はありました。

神道が出来て1000年以上経った室町時代には、現在につながる日本文化がほぼ出来上がりました。書院作りや茶の湯もこのころに出来ました。そして、誠の大事さを教える「浦島太郎」や「花咲爺さん」などのおとぎ話ができました。

その後江戸時代に国学が盛んになって、「もののあはれ」や「誠」が強調されるようになりました。幕末の動乱期には、「至誠」「誠」という言葉が流行語のように使われました。幕末には、明治の近代化の地ならしがすでに出来ていたのです。

このように自由や誠の考え方は、文化的な伝統として自然に醸し出されるもので、学校で教えてなんとかなるようなものではないのです。

誠の考え方を日本が一度失ってしまうと回復するのに長い時間がかかります。このような大事な伝統が残っていることに感謝し、後の世に仕えていく努力を怠ってはならないと、考えます。

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