自衛権の放棄はありえない

社会契約説は、個人が持っている権利を国が預かって、効率的に権利を実現しようという考え方です。個人が持っている権利には、教育を受ける権利などという比較的簡単に実現できる軽いものもあるし、自分の命や財産を守る自衛権という重大なものもあります。

社会契約説はもともと、自分の命や財産を守る自衛権をどのように扱うかという問題から生まれたもので、自衛権の扱いがその中心テーマです。ところが今の日本は、軽い権利を国は十分に守りますが、個人の自衛権という重大な権利に深入りする気がありません。

強盗などの個人の自衛権に対する比較的小さな危険に対しては、日本国は中途半端な対応をしています。都道府県に警察業務を任せてしまい、国が直接乗り出そうとしていません。だから国際犯罪などの大規模な犯罪に対しては、対応が後手に回っています。

もっと問題なのは、敵国の軍隊が攻めてくるような大きな危険に対しては、国家が何もしようとしないことです。憲法第9条によって、日本は自衛権を放棄しています(この条文はこのようにしか読めません)が、こんな理屈はありません。

社会契約説では、もともと自衛権は国家にあるのではなく、個人が持っているものです。それを社会契約によって、国家が預かるという仕組みです。従って、国家がもともと自分のものではない自衛権を放棄することはできません。「国家は個々の国民の持っている自衛権を預からない」というようにしか解釈できません。

これがどういう意味かというと、例えば北朝鮮が日本に核ミサイル攻撃をしてきた時に、日本国は傍観しているということです。個々の日本人は自衛権を持っているので、みんなが竹やりを持って外に出て、空を見上げることになります。

つまり、個々の日本人が持っている「わが身を守る権利」を非効率のままに放置している、と言うことです。

日本国憲法が成立していないという証拠はたくさんありますが、社会契約説から考えてもまともではなく、成立していません。

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