「代表なければ課税なし」は本音だった

メイフラワー号に乗ってやってきた移住者は、最初にアメリカにやってきた移住者ではありません。また、他の植民地はイギリス国王の特許状に基づいて設立されました。従って、プリマス植民地が国王の特許状ではなく、移住者の社会契約に基づいているというのは特殊なケースなのです。

ところが全くの荒野に移住者の合意によって国を作るという発想が、移住者の実感に合致したため、このケースが一種のアメリカ建国神話になりました。このような経緯で、アメリカは社会契約によって作られた、という考え方がアメリカ人の常識になっていきました。

18世紀の北アメリカ大陸では、イギリスとフランスが領土を争って戦争ばかりしていました。イギリス議会は、アメリカ大陸に駐屯しているイギリス軍の経費を植民地にも負担させようとして、印紙条例を採決しました(1765年)。アメリカの植民地内で発行される新聞とか契約書などには印紙を添付しなければならないという内容で、印紙の売り上げはイギリス政府の収入になります。

イギリスとしては、「アメリカの植民地をフランス軍から守るための費用だから、アメリカ人が負担して当然だ」と考えていました。ところがアメリカ人はこの問題を、社会契約説に基づいて考えたのです。国家は国民が集まって契約して作ったものだから、国家が何をするにしても国民の同意が必要だ、ということです。

当時のイギリスの議会には、アメリカの植民地を選挙区としていた議員はいませんでした。つまりイギリスの議会は、アメリカ人の代表の意見を聞かずに印紙条例を可決したのです。これは社会契約に反するので、アメリカ人は「代表なくして課税なし」というスローガンで印紙条例に反対しました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする