南蛮人は、日本人を奴隷にした

日本の教科書は、「南蛮人は、キリスト教の布教を手段として利用して、日本の植民地にしようとした。だから江戸幕府はキリシタンを禁教にし、鎖国した」と書いています。

当時の日本には数十万人規模の軍隊があり、多くの鉄砲で武装していました。しかも豊臣政権や江戸幕府などがあって、国内はすでに統一されていました。だからわずかな南蛮兵が半年かかって日本にやってきても、日本軍に撃破されるだけだったのです。

そんなことは秀吉や江戸幕府は分かっていたし、スペイン政府も分かっていました。だからスペインが日本を侵略しようとしたことが、日本が鎖国した主な理由ではありません。

戦国時代から江戸時代初期、日本は火薬を国産出来ませんでした。そこで、火薬は欲しいが金が無い大名たちは、日本人を南蛮商人に売っていたのです。火薬一樽と日本娘50人とを交換していました。

日本にいたバテレン(宣教師)は、日本での布教が成功していることをローマ教皇に宣伝するために、1582年にキリスト教に改宗した大名の子弟たち4人をバチカンに連れて行きました(天正遣欧少年使節団)。

この少年たちは、ヨーロッパの多くの都市を見学しましたが、そのときに奴隷市場で日本娘が競売にかけられていることを目撃し、怒り悲しんでします。日本娘だけでなく、日本の若者も兵士にするために奴隷として売られていました。岡本良知(スペイン・ポルトガル史を専門とした歴史学者)は、『十六世紀日欧交通史の研究』で下記のように書いています。

「日本人はフィリピン以外のアジア諸国に交易のために渡海する者はほとんどいなかった。ところがこれら諸国に日本人が在留していた形跡が多い。これは当時日本の諸港に交易に来た外国船、特にポルトガル船に購われて諸国に売却されたことによって説明できる」

数ははっきりしませんが、数十万人の日本の若者と娘が奴隷に売られたのではないか、と推定されています。

イエス・キリストを信じない異教徒は、神によって心を正しくしてもらえず、心が邪な欲望に満ちたままなのだ、というのがキリスト教の教義です。従ってそのような野蛮人を奴隷にしても、キリスト教徒である南蛮人は良心の呵責を感じないのです。