岩倉使節団

明治4年、岩倉具視、大久保利通、伊藤博文などの元勲や学者たち100人以上の大使節団が、欧米に出発しました。主な目的は不平等条約の改正交渉でした。

最初にアメリカに渡った一行は、ワシントンでグラント大統領及びフィッシュ国務長官と会談し、不平等条約の改正を要求しました。具体的には治外法権の撤廃と関税自主権の回復です。この時にアメリカ側は日本の要求を一蹴したと一般には思われていますが、実際は違います。

フィッシュ国務長官は、「条約を改正してもよいが、日本が非関税障壁を撤廃することが条件だ」と言いました。

「アメリカの商人は居留地にいるのが原則で、日本国内を自由に旅行できないから、商売上不利ではないか。日本のどこでも居住できるようになれば、日本の関税自主権を認める」。また「日本が妥当な法律と公正な裁判所を持ち、浪人がアメリカ人を斬りつけないようにしっかりした警察ができたら、治外法権を撤廃する」と言ったのです。

要するに、「日本が自由と平等を国民に保障した近代国家になれば、不平等条約を改正する」というのがアメリカの回答でした。これは津田真一郎がオランダで学んだことと同じです。

日本がアメリカが出した条件を満たすには、憲法を制定し、日本人の風俗を洋風に変えて異人の習慣を受け入れ、異人に斬りつけるようなことが起きないようにしなければなりません。

岩倉具視以下の使節団員は、時間をかけて日本が欧化しなければ条約改正は無理だ、とさとりました。そこで使節団の目的を欧米の視察に変えて、旅をつづけました。

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