この20年で古代史の常識が崩れた

ここ何十年かで明らかになった日本古代史を下記のようにまとめてみました。
1万6000年前 青森で、世界最古の土器が作られた(日本最古でなく、世界最古ですよ)
1万2000年前 鹿児島で、焼畑稲作の痕跡が見つかる
同じ頃      揚子江中流で、焼畑稲作が始まる
7000年前   揚子江下流で、焼畑稲作が始まる
6000年前   日本で、焼畑稲作をやっていたことが確実
3000年前   九州北部で、灌漑設備を伴う水田耕作が行われた

日本は、世界最古の文明(エジプト、メソポタミア、インダス、黄河、揚子江)と古さでは同じだということになったのです。

尚、朝鮮で焼畑稲作が始まったのは3000年前で、日本より3000年遅れています。2300年前に、縄文人が支那人や朝鮮人から稲作を教えてもらう必要などないのです。

最近朝鮮で縄文遺跡や弥生遺跡が発見されていますが、そこで日本でしか採れない黒曜石が発見されているので、縄文人が半島に進出していたということになります。

ベルツやモースなどのお雇い外国人たちが、「日本人の先祖は海の向こうからやってきた渡来人だ」と考えたので、その弟子の人類学者たちも同じ説にずっと固執してきました。そして、BC3世紀の支那は戦国時代だったので、稲作技術を持った難民が戦乱を逃れて日本にやってきた、という筋書きを考えました。

ところが弥生遺跡を調査しても、大量の渡来人がやってきた形跡がありません。そこで人類学者たちは、やってきた渡来人は少数だが、彼らは稲作によって豊富な食料を確保できたから、狩猟に頼っていて食料の十分でなかった縄文人よりはるかに人口増加率が高く、時間が経つにつれて渡来系弥生人と縄文人の人口比率が逆転した、というように説を修正しました。

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