実績のあるほうが良い

キリスト教は、マルクスのように「私有財産を廃止すれば、人間の心は変わる」と考えるほど単純ではありません。人間の欲望(原罪)は非常に根が深く、人間が努力をしても簡単に消せる程度の甘いものとは考えていません。

ルターは修道院にこもって、自分の心から欲望を消し去ろうとして必死の努力をしましたが、できませんでした。そしてついに、「人間がいくら自分一人で努力しても、心の中から悪い思いを消し去ることはできない。イエス・キリストにすがるしかない」ということに気がつきました。ここから宗教改革が始まったのです。

キリスト教や神道の信者は、「自分の心を正しくしてください」と1000年以上も先祖代々神様にお願いし続けてきました。その祈りが人間の深層心理に影響を与え、西欧人や日本人の心に自由や誠の考え方が根付きました。

その結果、他人どうしが互いに助け合う近代社会を作ることができ、経済的にも豊かになりました。西欧諸国や日本の社会は、マルクスが夢見たような理想郷ではないかもしれません。しかしソ連や支那よりもはるかにましです。

キリスト教や神道は2000年間、人間の心という扱いにくい対象を相手に格闘してきた、心を扱うプロなのです。それをマルクスが「キリスト教の信用が薄らいだ」として、キリスト教の教義から「いいとこ取り」をし、「宗教はアヘンと同じだ」という非常に偏ったことを言い出しました。

現実社会を良くしようと考えれば、人間の心に関する知識の浅い共産主義よりも、実績のあるキリスト教や神道をまずは考えるべきでしょう。

ソ連が健在だったころ、アメリカや西欧・日本などの支配者は、共産主義を蛇蝎のように毛嫌いしていました。その理由を、共産主義は「支配者の地位を脅かす思想だからだ」、と説明する人もいました。しかしそれだけではなく、「私有財産制度を廃止すれば、人間の心は変わる」という発想があまりに幼稚で、説得力がなかったためでもあります。

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