仏教は、国家や社会をくだらないものと考える

仏教は、苦から逃れることを目的とします。人は大事だと考えるもの(財産や家族など)をなくした時に苦しみます。ものは実は大事ではないということに気がつき、ものへの執着を消せば、それがなくなっても苦を感じません。

僧侶になるときに、財産や家族などそれまで大事だと考えていたものを捨てて出家するのは、こういう理由からです。

仏教は俗世を、「本当はくだらないのにもかかわらず、未熟な者たちが欲しがるもので満ち溢れている」と考えます。社会や国家は、人を惑わす悪いものなのです。
だから仏教の教義に親しんだ多くの日本人は、苦から逃れようとして出家し社会から離脱しました。

仏教的な視点から国家や社会を見る者は、たとえ社会が混乱して人々が苦しんでいても世の中を立て直そうとはせず傍観して、心が動揺しないようにするだけです。社会や国家は、わざわざ立て直すために汗を流すほど値打ちがあるものではないからです。

幕末の日本が危機的な状況になったときに日本を立て直そうとしたのは、尊王思想家や神道信者で、熱心な仏教徒はほとんどいませんでした。

今の日本には、防衛力増強など国家の力を強くしようとする施策に反対し、「国家が力を持つと悪いことをする」と主張する人がたくさんいます。

彼らはサヨクと一般的に呼ばれていますが、西欧の社会主義思想を信奉しているようには見えません。

西欧の社会主義は、国家の力を強くして社会を守ろうとしますが、日本のサヨクはその反対で、どこか浮世離れしています。

私は、日本のサヨクは無意識の仏教信者なのだ、と思っています。そう考えると、いろいろなつじつまが合うのです。

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