女系天皇を否定しても、平等に反しない

アメリカ合衆国憲法は、男女平等を規定していません。そこで女性の権利を主張する運動家たちが、憲法に男女同権の条項を追加しようとしました。この憲法修正案をアメリカ連邦議会は可決しましたが、四分の三以上の州が10年以内に修正案を承認すること、という条件をクリアーできず、廃案になってしまいました。

この男女平等を規定する憲法改正案に対して最も激しく反対したのが、キリスト教系の女性団体でした。「神は女性に対して男性とは違う固有の役目を与えた。その役目を無視して男性とまったく同じように扱うことは、女性にとって不幸だ」という理由からです。キリスト教は、「神から与えられた役目をきちんと果たすことが、正しい態度だ」と考えます。

余談ですが、アメリカ合衆国憲法に男女平等を規定する条項を追加することに失敗したフェミニストたちは、あきらめきれずに搦め手からこの問題を蒸し返し続けています。例えば、「同性婚を認めよ」などという運動がそれです。

神は、ダビデ王の子孫でイエスという特別の男性に救世主の役目を与えました。また特別の男性をローマ教皇に指定しました。女性はローマ教皇になれませんが、それは神が決めたことで仕方がないのであって、平等に反することではありません。女性には別の役割があるのです。

天照大神の魂を自分の魂に付着させて誠の心を伝えていくのは、皇室の血筋に生まれた方に課せられた役目なのです。そして天照大神の魂は父方が皇室の血筋の方にしか付着しない、と伝統的に考えられています。他の者がこの役目を果たせなくても、神様が決めたことなので仕方がないのです。

大臣という役割を果たす場合に性別は無関係ですから、女性が大臣になれないというのは平等に反します。しかし、女系天皇を認めなくても平等には反しません。これが法的にこの問題を考えた時に出てくる結論です。

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