古代ローマは国籍を大盤振る舞いした

これから、国籍の取得や移民の問題について、書いていこうと思います。

塩野七生の『ローマ人の物語』は、それまで日本人になじみのなかったローマという古代の大帝国への興味を、大いにかき立ててくれた優れた著作です。年に1巻ずつ出版される続編を、いつも私は待ち遠しく思っていました。

ローマの建国神話では、ロムルスとレムスというオオカミに育てられた兄弟が3000人の羊飼いを国民にして建国したことになっていて(BC753年)、最初はちっぽけな国でした。塩野七生は、ローマが大帝国になった理由を「敗者を取り込んだからだ」と分析しています。

まだ弱小国家だったローマは、近隣の都市国家と戦争をして徹底的に相手を打ち破った後、敗戦国を併合し相手国の住民全員にローマ国籍を与えました。さらに相手国の有力者をローマの元老院議員にまでしました。ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の先祖もアルバロンガという国の有力者で、ローマにやっつけられたに後ローマの元老院議員になっています。

古代社会では、戦争に負ければ皆殺しにされるか奴隷になるのが普通でした。ところがローマはまったく別のことをやったわけで、新しくローマ国民になった敗者たちはすっかり感激しました。こうして、国家に対する義務を果たすことを誇りに思う国民性が出来上がりました。

国の規模がある程度大きくなり中部イタリアで一番大きな国になった段階で、ローマは方針転換して敗戦国を併合するのを止め、敗戦国の全員にローマ国籍を付与することも止めました。敗戦国をそのまま認めたうえで軍事同盟を結び、その領土の一部を没収してローマ人を屯田兵のような形で送り込むことにしました。

ローマは国籍の大盤振る舞いをやめたのですが、ローマ国籍を欲しがる者もいませんでした。同盟国が攻撃されればローマは大軍を編成して同盟国を助けたため、戦争ばかりしていました。ローマ国籍を持っていても戦死する確率が高く、割に合わないのです。例えば、BC200年頃ローマはカルタゴと大戦争をしましたが、戦争前のローマの自由民成人男子(戦士として徴兵される者)は30万人程度でしたが、戦争でその半分が死んでしまったのです。