社会契約説

今年の2月にこのブログで、次のようなことを書きました。
「日本を始めとする先進国の憲法は、自国民の権利を守ることを明記しているが、外国人の人権を守るとは書いていない」(パスポート)。「憲法は自国民を外国人より優先している」(会員制のクラブ)。

先進国の憲法は「国民ファースト」が大原則です。それは、これらの憲法が「社会契約説」を理論的な支柱にしているからです。この説は下記のような経緯をたどって世界中に広がっていきました。日本もこの説を受け入れています。

社会契約説は、17世紀末にイギリス人の政治学者であるジョン・ロック(1632~1704)が唱えました。当時のイギリスは「清教徒革命」と「名誉革命」の2度の革命を経て、国民の諸権利を保障する近代的な国家を作りつつありました。ロックは社会契約説によって、近代国家の理論的支柱を作ったのです。

イギリスの革命が植民地時代のアメリカに大きな影響を与え、その理論的な支柱である社会契約説がアメリカで大流行しました。そしてその説に基づいて、18世紀後半にアメリカ独立戦争が起きました。当時、フランス王国はイギリスとあらゆることで対立していたため、イギリスを困らせることは何でも喜んでしました。アメリカが独立戦争を始めると、フランスは義勇軍を派遣し、アメリカ独立軍を支援しました。ニューヨークの港に立つ「自由の女神像」は、独立を祝ってフランスから贈られたものです。

義勇軍に参加したフランス人には、大勢のフランス貴族がいました。彼らはアメリカで戦っているうちに、社会契約説に大いに感化されました。戦争が終わって(1783年)フランスに帰ってきた青年貴族たちは、フランスでも社会契約説に基づいて国家を改造する必要があると考えるようになりました。

フランスは、アメリカ独立戦争を支援のために金を使いすぎて、財政が破たんしそうになりました。そして社会不安が起き、独立戦争終了から6年後の1789年に、フランス革命が起きました。