自由という考え方のはじまり

17世紀前半のイギリスは、カトリックと英国国教会とプロテスタントの三つのキリスト教が争っていました。国王は英国国教会を支持し、プロテスタントを弾圧していました。

それは、英国国教会にはがっちりした聖職者の組織があるので、この組織をおさえておけば国の統治が容易にできるのに対し、プロテスタントには強固な組織がなく信者を治めにくかったからです。

チャールズ1世がプロテスタントを迫害したために、オリバー・クロムウェルを中心としたプロテスタントが反乱を起こし、国王を死刑にしました。これが清教徒革命です。

「革命」と名前が付くので、貧乏人が起こしたかのように感じますが、実際には革命派の幹部の多くは上流階級の者でした。オリバー・クロムウェルなど、1000人の軍隊を自費で作る財力があり、親戚の一人は大臣でした。

食いつめたわけでもないのに革命を起こした理由は簡単で、「信仰の自由」を守るためでした。現代人には宗教のために戦争をするなど考えられないので、経済的理由などいろいろ原因を探していますが、複雑に考えすぎると本質を見失ってしまいます。

国王は法律を作って、プロテスタントにその信仰を捨てるように命じました。ところがプロテスタントにとっては、自分たちの正しい信仰を世に広めることが人々を幸せにする方法だと信じ切っていました。

国王の命令に従うか、世の人に隣人愛を行うかの二者択一を迫られました。そしてイエス・キリストならどうするだろうと考え、国王の命令に逆らっても良い、という結論を出しました。

この信仰の自由という考え方から、さまざまな自由が派生しました。出版の自由、言論の自由、職業選択の自由などです。

注意しなければならないのは、自由はイエス・キリストと同じ正しい心の持ち主にしか許されない、ということです。そういう人間は放っておいても悪いことをしません。