難民、民族自決(要約6)

キリスト教の自由とは、「イエス・キリストと同じ正しい心で判断したのならば、社会的なルールを無視しても良い」という考え方です。

この考え方を、「イエス・キリストと同じ心を持たない野蛮人には自由はない」というように解釈したのが積極的自由の考え方です。これによりアメリカは、黒人奴隷を合法化しました。

その後自由の考え方は、社会的なルールを撤廃しようという方向に向かい、職業選択の自由・出版の自由などの消極的自由が強く主張されるようになりました。人種や宗教による差別も撤廃されていきました。

ところが昨年あたりから欧米に大量の難民が押し寄せたのをきっかけに、人種・宗教差別が復活してきました(欧州の難民問題アメリカでも振り子が戻りつつある)。

キリスト教は、他人どうしが助け合う隣人愛を大切にします。みんなが助け合っている社会に隣人愛を持たない異教徒が混じると、善き社会が破壊されてしまいます。そこで欧米の多くの人は、積極的自由の考え方を復活させて、自分たちの社会を守ろうと立ち上がったわけです。

近い将来、日本にも朝鮮や支那から大量の難民が押し寄せる可能性が大いにあります(日本はこれから、難民・移民が大問題になる支那から大量の難民が押し寄せる)。

支那人や朝鮮人は他人どうしが助け合う誠の心をもっていないので、彼らが日本に住み着くと日本社会から互いに助け合う習慣が失われてしまいます(難民の受け入れによって、日本は大事なものを失う)。

日本が強い産業競争力を持っているのは、日本人が誠の心を持って互いに助け合うからです(自動車産業)。誠の心を失ったら日本は経済的にも安全保障の面でも非常に弱体化します。

人間は民族ごとに集団の作り方が違います。自分の所属する集団が弱体化したら、自分たちで運命を切り開く以外に方法がありません(民族自決)。そもそも人間という生物は、よそ者を親身になって助けるようにはできていません(仲間と助け合うということ)。

日本に支那人や朝鮮人の難民が押し寄せてきたら、追い返さなくてはなりません。多くの日本人はいまだに大アジア主義の幻を信じているので、これを実施するのにはかなりの困難を伴うと思いますが、やりぬかなければなりません(大量の難民が日本に向かってきたら、どうする?)。

ヒットラーがユダヤ人を迫害した時に、アメリカやイギリス・スイスなどはユダヤ人難民の受け入れを拒否しました。いざという時は各国とも助け合う仲間である自国民の保護を最優先しますが、これが正しい判断です。

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