神仏習合

仏教は8世紀初めの奈良時代に本格的に日本に入ってきました。日本には昔から神道があったので、後発の仏教は「本地垂迹(すいじゃく)説」というキャンペーンを考え出しました。

「仏教を知らなかった日本人に、いきなり高級な仏教の教えを説いても理解できない。だから仏様はまずは神様の姿で現れ、簡単な教えを説いた。日本人のレベルが上がってきたので、今になって仏様は正体を現し本当の仏教の教えを説くのである」というのが、本地垂迹説です。

このキャンペーンは成功し、仏教は大いに普及しました。同時に、神様と仏様は本当は同じなのだという説明から、神仏習合という現象が生まれました。神社の本殿に仏像を安置し、僧侶がその前で神事を行いました。

さらには、神社の敷地に寺院を立てたり、その逆の現象も起こりました。例えば、滋賀県にある比叡山は日吉神社の神域でした。そこに伝教大師最澄が延暦寺を建てて、日吉神社をお寺の守護神にしたのです。

神仏が習合した時代が1000年以上続きましたが、明治になって、政府は神道の純粋さを取り戻そうとして、神仏分離令を出しました。そして仏教と神道がまじりあった宗教施設を廃止し、敷地を分割して、寺院と神社を独立させました。

みなさんが住まわれている所の近くにも、神社と寺院が隣り合わせになっていることがあると思います。それは明治初期に神仏分離令によって、二つに分かれた結果です。