社会を「科学的方法」で分析するのは難しい

多くの日本人は、いまだに仏教や神道の考え方に影響されて行動しています。また、アメリカなどの諸外国も同様に非常に宗教的です。このことを、前回までのブログに書いてきました。

このように、世界はいまだに宗教的な考え方に基づいて動いています。そこで、私は現代を宗教で読み解いて行こうと考えています。「それはお前の主観であって、科学ではない」と言われれば、その通りです。

永年にわたり政治学や歴史学を研究してきた学者たちが「政治学・経済学・歴史学・法学などの社会科学は、科学なのか?」という議論をいまだにしています。自分のやっていることがはたして科学なのか、自信を持てないからでしょう。

19世紀半ばにマルクスが「科学的社会主義」を主張しました。その後社会主義が勢力を増すに連れて、社会科学という学問は可能だということになっていきました。ところが、今となっては「科学的社会主義」をまじめに信じている人は、ごく少数しかいません。

自然科学は、実験によってその理論が正しいか否かを確認することが出来ます。理論物理学のように対象が大きすぎたり小さすぎたりして実験出来ない時は、数学を使って証明することができます。

ところが歴史学とか政治学・経済学などは実験出来ません。タイムマシンに乗って時間を遡り、特定の人物を殺すとか、事件を起こして史実を変えない限り、その理論の正しさを確認できないのです。人間という複雑なものを数式化することもできません。歴史学などは、同じ事件でも、国や人によって全然見かたが違います。20年ぐらい時間が経過すると、歴史の記述が全く違ってしまうことなど、しょっちゅうです。

そこで私は、自分の書いていることが科学か否かなど、気にしないことにしました。実社会で起きていることには、様々な原因があります。それを宗教という視点から観察して、原因を説明できれば、それでよいと私は考えます。その原因が原因全体の何%を占めるのか、などという定量分析はできません。しかし、「このようなことも一つの原因である」というような定性分析ならできます。

あとは、個々人がその原因を評価して、重要なのかそうでないのかを、自分で判断すればよいのです。このような作業をすることによって、現実社会への洞察が深まります。

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