自由主義経済には、「法の支配」が必要

ハイエクは、「Liberal economy(自由主義経済)をレッセフェール自由放任:なすがまっまに任せよ)と説明するのは誤解を招く」と書いています。Liberal economyは、政府は何もしないという考え方ではありません。国防軍を持つことは政府の役割だと認識しています。

また犯罪が起こらないようにする警察活動の半分ぐらいは政府の役割だとも考えています。重大な犯罪は警察が取り締まりますが、残り半分の犯罪になるかすれすれの軽いものについては、警察が取り締まるのではなく、国民の正しい信仰心に期待するのです。Freedomはキリスト教の信仰から生まれてきたので、当然のことです。

さらに「法による支配」を維持することが政府の重要な役割だ、とハイエクは書いています。「法の支配」というのは、政府が行う活動は前もって公表されている法に規定されていて、行政による自由裁量はほんの少ししかない、ということです。

つまり、しかじかの状況の時は政府がどのような形で権力を発動するかを予測でき、個人はそれをもとにそれぞれの活動を計画できるという仕組みになっている、ということです。誰もが知っている「ゲームのルール」の枠内であれば、個人は自分のやりたいことができ、権力の恣意的な行動に邪魔されることはありません。この仕組みによって、経済の自由が守られます。

一方、社会主義の計画経済はこれと逆です。計画当局は、国民が実際に必要な物を、その都度提供していかなければならず、そのうち何が優先的かを判断しなければなりません。国民の必要とする物は都度変化するので、形式的な原則からは導き出せないし、事前に長期的な決定をすることもできません。

結局、誰か特定の人の判断が法律の一部となってしまい、それを政府が強制的に国民に押し付けることになります。結局、自由主義経済に必要なのは、形式的な法律であって、誰によってどのように使用されるかを前もって知ることができないような法律なのです。

日本の法律は国会で採択されるので、一見「法の支配」の要件を満たしているようですが、その詳細な判断を行政の裁量にゆだねているので、実際に法を作って運用しているのは、官僚です。従って、ハイエクが今の日本を見たら、「日本は法の支配がない社会主義国だ」と判断するのではないでしょうか。

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