外界で起きていることを人間が理解することは不可能、とハイエクは主張している

われわれ人間は、目や耳から入ってきた外部に関する新たな情報を取り入れて、従来の分類の体系を修正し、いま外界がどうなっているかを認識します。つまり、われわれは外部を直接認識するのではなく、自分の頭の中の体系を外界だと思っているのです。

例えば、大地震により自分の家の敷地の下に新たな活断層が出来たり、モグラがよそから移動してきて敷地内に住み着いたりしたとしても、その事実を知らなければ彼の分類の体系は、修正されません。外界の事実と自分が認識していることは違うのです。

多くの人は、外界と自分が直接に対峙しており、自分は外界から情報を得て、それを直接分析して外界を「客観的」に理解していると考えています。自分と外界の二元論なのです。ところが、ハイエクは、「人間は直接外界を理解できず、自分の頭の中の分類体系を知っているだけだ」と主張しています。

例えば、それまで赤痢にかかったことのない人が東南アジアに行って赤痢を移されたときを想像してください。熱が出て下痢をしますが、その時は風邪を引いたと思うだけでしょう。熱が出て下痢をしたという事実を知っても、自分が赤痢にかかったという認識はできません。

しばらく経って、自分がかつて風邪にかかった時の症状を思い浮かべて、「どうもこれは違う」と風邪の分類には該当しないと感じ、医者に診てもらって初めて、事態を「客観的」に認識できます。彼が自力で、「自分は赤痢にかかった」と事実を認識できるのは、一度赤痢にかかり、頭の中に「赤痢」という分類が生じた後です。

ハイエクが主張しているのは、「自分が理解できるのは、自分の頭の中にある分類体系だけだ」という一元論です。

一般の人だけでなく経済学者も、「外界を観察することにとって、事実を知ることができる」と考えています。しかしハイエクは、それは誤解であり、「人間が外界で起きていることを理解することは不可能だ」と主張しています。そしてハイエクの経済理論は、ここからスタートしています。

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コメント

  1. ソフィア より:

    哲学の世界だとフッサールの現象学にも似たような発想がありますよね。
    ただ、これまでの記事でよくわからなかったのは「外界が認識不可能」と言うことと、「自由主義経済が正しい」と言うことが何故イコールになるかと言うことです。
    この先の記事で明らかになるのかもしれませんが、もう少し敷衍して頂けると解りやすくなるかなとは思います。

    • 市川隆久 より:

      ハイエクは同じ現象を見ても、その受け取り方は個人ごとに違うと言っています。各人の経験などからそれぞれ固有の分類の体系を持っているからです。建物が揺れたら地震が起きたと思う人もいれば、テロが起きたと思う人もいます。その現象に対する理解が違えば、それに続く行動も違ってきます。べつに建物が揺れたという現象を認識できないということではありません。多くの経済学者はここのところを明確に分かっていない、というのがハイエクの主張です。ビルが揺れたらすべての人間はテロが起きたと認識し、それに対応して動くはずだと考え、地震が起きたと思って異なる行動をする人間を想定しないわけです。
      これと同じように社会主義者は、すべての国民は丈夫な自転車を望んでいるはずで、スマホを欲しがるような者は精神的に堕落していると考えるのです。その結果、自転車を作っても売れ残り、闇市でスマホに法外な値段がつくわけです。

  2. ソフィア より:

    近代学術の対象としているのが「数値化され、一般化された人間」であり、個々の具体的な存在者としての個人ではないので、経済学に限らず医学にせよ社会学にせよ、個々の人間の特殊な動きを考えていない側面はあるのではないでしょうか。
    社会政策に関しても、基本的には平等の原則から「数学的に、平均的な国民」を想定して政策が決定されるので、個々の国民からすると、常に実態とずれているような違和感を感じるのかもしれません。
    その辺りの反省から実存主義のような動きも出てきたと存じますし
    だからこそ、ハイエクなどが主張しているように個々の国民の自由裁量の度合が増えた方が「最大幸福」に繋がると言うことも考えられるかもしれません。
    ただし、このような考えも「自由な個人は賢明に振る舞う」と言うイデオロギー的な前提が根底にあることも否めず、「全ての国民に誠の精神があれば」と言う前提ならば上手く行くかもしれませんが、ケインズ政策を皮肉って言うハーベイ・ロードの仮定(官僚性善説)のように、現時点ではハイエク流の民間性善説も絶対に正しいとは言えないでしょう。
    とは言え、ハイエクの考え方は面白いと思いました。
    特にお国主導の社会政策が国民を雁字搦めにしている側面が強い我が国ではもっと読まれても良い思想家かもしれません。
    ありがとうございました。