難民の受け入れによって、日本は大事なものを失う

難民は、経済的に貧しく不正が蔓延している途上国で発生し、先進国をめざします。では、難民たちは祖国がそのように悲惨な状況になったことに責任はないのでしょうか。

一つの民族が先進国を作れるのは、その民族の文化に「自由」あるいは「誠」という考えがあるからです。(「日本人はなぜ、まともな国を作ることができたのか」)

「自由」「誠」は、互いに助け合う心のことです。肉親や友達などの良く知っている関係の者だけでなく、見知らぬ人も仲間だと考えて、お互いに助け合う心のことです。

自由はキリスト教の信仰から出てきた考え方で、誠は神道の信仰から醸し出されてきました。これらの考え方は、学校で教えれば国民の身につくというような簡単なものではありません。

様々な歴史的事件の記憶や昔話、文学などを通じて1000年以上の時間をかけてじわじわと国民の心にしみとおるものです。一度失われたら、取り返すまで大変な時間がかかります。

難民が発生した途上国の国民は自由や誠の心を持っていなかったから、同胞を助けようという気持ちが起こらず、自分だけが先進国に行って悲惨な状態から抜け出そうと考えるのです。彼らは、先進国に入国した後もなかなか、自由や誠の考え方を身に着けません。

周囲が互いに助け合っている中で、難民たちは広く他人を助けようとせず、自分の家族と同じ習慣を持つ難民仲間たちという狭い範囲だけで助け合おうとします。このような狭い了見しかないので、社会道徳を守ろうとせず、彼らが住んでいるところはスラム街になります。

社会の中に、周囲のことを考えず自分たちの利益だけを追求しようという集団が生まれると、周囲の人は損をすることになります。自分たちは彼らを助けるのに、彼らは自分たちを助けようとしないからです。そうなると、もともとの互いに助け合う仲間と移民グループに社会が分断され、次第に社会が殺伐としてきます。そうなると、多くの人は人を助けようとしなくなります。

このようにして、大事な自由や誠が失われてしまうのです。

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