1961年に南朝鮮の陸軍大将である朴正煕がクーデターを起こして政権を掌握しました。クーデターという「非民主的」手段で政権の座に着いたので、アメリカのとの関係がもう一つよくなく、彼は日本に頼ってきました。彼はもともと日本の陸軍士官学校を卒業して日本陸軍の将校をやっていたので、日本との人脈もあったのです。
1965年に日韓基本条約が締結されました。この時に日本は南朝鮮の国家予算の二倍の金を援助してやって、経済成長の基盤を与えてやりました。また朝鮮にあった日本人の資産を放棄しました。さらに南朝鮮の日本に対する一切の意請求権は解決済みということになりました。偽の従軍慰安婦への賠償とか偽の徴用工への賠償請求などは、この基本条約違反です。なお竹島問題は棚上げになりました。
その上、この時に朝鮮戦争前後に日本に不法入国してきた朝鮮人に対し、日本は永住権を付与したり、生活保護をしたりするようになりました。朝鮮籍の者に対しては朝鮮が生活保護をすべきであって、日本がするような性格のものではありません。早急に撤廃すべきです。
日本がここまで朝鮮に入れ込んだのは、いくつか理由があります。この頃の日本人は、学校教育やマスコミの影響で、日本は朝鮮に悪いことをした、と洗脳されていたのです。また、「日本人と朝鮮人は同じ文化を共有している仲間であり、お互いに理解できる」という大アジア主義の思い込みが今よりも強かった、という事情もありました。
朴正煕大統領は軍人だけあって、国の安全保障を考えていました。支那が核兵器を持っているのに対抗して、南朝鮮も核兵器を開発しようとしました。そのために南朝鮮が核兵器を持つことを望まないアメリカとの関係が悪化しました。
特に1977年にアメリカ大統領になったジミー・カーターが朴正煕を嫌いました。カーターは「人権外交」が売り物なので、朴正煕のようなクーデターをする独裁的な人物と合わないのです。カーター大統領は、在韓米軍撤退まで匂わせて圧力をかけたので、朴正煕は表面的には核開発をあきらめたようなふりをしました。しかしその後も核開発の構想を温めていました。
ついに1979年に朴正煕は、「大統領慰安所」で女優と楽しんでいるところを、側近のKCIA長官に射殺されました。KCIAはアメリカのスパイ組織CIAの南朝鮮版で、CIAとも人脈があります。証拠は出ていないのですが、アメリカが彼を暗殺したという推測が絶えません。
以下はひと続きのシリーズです。
11月9日 敗戦後に、手のひらを返したように、朝鮮人は反日になった
11月12日 アメリカ軍は、朝鮮人が自立できないことを知っていた
11月13日 南朝鮮は、日本に逃げてきた済州島民の引き取りを拒否した
11月14日 毛沢東は、自分に反抗的な軍人を始末するために、朝鮮戦争に参戦した
11月15日 朝鮮戦争当時の指導者は、個人的な利益のために戦争をした
11月16日 アメリカの支配者は、朝鮮戦争に勝つことを望んでいなかった
11月19日 なぜ朝鮮人は反日なのか、専門家の意見を紹介する
11月21日 実務を行っていた「親日派」を弾圧するわけにはいかなかった
11月22日 軍人政権時代は、南朝鮮の独立は自らが勝ち取ったものではない、と分かっていた
11月23日 為政者を選挙で選んだからといって、先進国になれるわけではない
11月24日 朝鮮は、民主国家になる二つの条件の両方を欠いている
11月25日 朝鮮人は、朝鮮は世界の中心だ、と考えるようになった