正義漢の日本人が朝鮮人と接すると、みんな精神的におかしくなる

大院君と閔妃は舅と嫁の関係なのですが、大院君が閔妃の生んだ息子を国王の世継ぎから引きずり下ろそうとしたために、不倶戴天の敵どうしになりました。そして大院君が閔妃を殺したらしいのです。

朝鮮の教科書は、三浦梧楼公使以下の日本人が王宮に侵入して王妃を殺したと書いています(1895年 乙未事変)。それは事実なのですが、日本人よりはるかに多い朝鮮人も参加しており、大院君が背後で策動した形跡があるのです。この件についてはウィキペディアの「乙未事変」を見てください。

明治維新以来、多くの日本人が朝鮮に行ってガチガチの朝鮮嫌いになって帰ってきました。日本の公使という身分の者が赴任先の王妃を暗殺するなど、非常識の極みです。公使の三浦梧楼は、長州出身の優秀な軍人でした。正義感が強く長州人でありながら藩閥政治に反対したために主流派から外れましたが、子爵になっています。要するに、正義漢の日本人が朝鮮人と接すると、みんな精神的におかしくなるのです。

日本が日清戦争をしたのは、外国が朝鮮に進出しないようにするためでした。そのために、まずは朝鮮を清の属国から解放して独立させたのです。ところが朝鮮は独立したら、国王がロシアを呼び込み、鉱山の採掘権や森林の伐採権を与えました。アメリカやフランスにも鉄道敷設権を与えました。

ロシアは不凍港を求めて、満州を軍事占領し、さらにロシア領沿海州から陸続きの北朝鮮を狙いました。そこで日本は日英同盟を結んで、朝鮮からロシアを追い出そうとし、日露戦争になったわけです。

日本海海戦で日本が勝ち、日露戦争の勝敗もほぼ確定した1905年7月に、日本の桂首相とアメリカのタフト特使(後の大統領)との間で協定が結ばれました。日本はアメリカがフィリピンを支配することを認める代わりに、アメリカは日本が朝鮮を支配することを認めるという内容です。

日露戦争後、日本は日韓協約を締結し、韓国は日本に外交を委ね、日本が朝鮮の内政を監督するなどが決められました。1907年にハーグで開催されていた万国平和会議に、韓国皇帝の高宗が密使を送り日本を非難し、列国の支持を求めるという事件を起こしましたが、どの国も朝鮮を相手にせず、高宗は退位させられました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする