派閥争いに敗れた朝鮮人は、残酷なやり方で処刑される

李氏朝鮮の両班の派閥争いで勝負がつくと、勝った方の派閥は負けた側を殲滅します。官位を奪って隠居させるなどという日本式の生ぬるい処罰ではなく、九族を皆殺しにする処刑法までありました。本人を殺すだけでなく、その高祖父(祖父の祖父)から玄孫(孫の孫)まで殺すのが「九族皆殺し」です。

明治になってからのことですが、朝鮮に日本に頼って国を近代化しようという派閥ができ、その首領が金玉均でした。福沢諭吉は彼に期待をかけて様々な支援をしていました。ところが金玉均が政争に敗れて逮捕され、「凌遅刑」に処されました。「凌遅刑」というには、生きている罪人の肉体を少しずつ切り落とし、長時間にわたり激しい苦痛を与えて死に至らす処刑方法のことです。

可愛がっていた朝鮮人の弟子がこのような目に遭ったことを知った福沢諭吉は、こんな下らない国を近代化しようと努力していた自分の不明を恥じ、『脱亜論』を書いて朝鮮との決別を宣言しました。

敗れた派閥に対して過酷な復讐をするという朝鮮人の発想は、未だに健在です。南朝鮮の大統領は、退任後に悲惨な目に遭っています。最近の例を挙げれば、朴槿恵は任期半ばで大統領を罷免され、今は牢屋に入っています。盧武鉉は、退任後に不正疑惑の追及を受け自殺しました。公式には自殺ですが、暗殺された可能性が高いです。

朝鮮の支配層は、総人口の1割ほどの両班で、文班と武班の二種類がありました。儒教の影響を受けて、文班の方が武班よりはるかに地位が上でした。儒教は道徳を重視し、支配者は道徳的な統治(王道)を行うべきであって、軍事力によって弱者を支配するやりかた(覇道)を軽蔑していたからです。

朝鮮人から見ると、武士が威張っていて儒教の教養がない日本は野蛮国そのものでした。江戸時代の日本の武士は「文武両道」で、武道だけでなく儒教も学びました。しかし朝鮮人に言わせれば、支配者はそもそも武道など学ぶべきでないのです。さらに日本の武士の儒教理解は幼稚でした(これは事実です)。朝鮮人が日本人をバカにする原因の一つはここにあります。

以下はひと続きのシリーズです。

10月8日 新羅は日本にも気を使った

10月9日 朝鮮人は、差別意識が旺盛である

10月10日 高麗王たちは、モンゴル化した

10月11日 元寇を撃退できたのは、運が良かったから

10月12日 日本に侵攻した元軍の兵士はほとんどが朝鮮人だった

10月13日 高麗王が、日本侵略をフビライに進言した

10月14日 鎌倉幕府が滅びたのは、元寇があったためだけではない

10月15日 高麗は、元軍兵士に従軍慰安婦を提供した

10月16日 李氏朝鮮の創設者は、女真人で元の将軍だった

10月17日 朝鮮の軍隊は、驚くほど弱かった

10月18日 朝鮮人は、現状分析をせず、抽象的な思考をして結論を出す

10月19日 朝鮮のお上は、ただ税金をとるだけ

10月20日 李氏朝鮮は、なかなか野蛮国の清に臣従しようとしなかった

10月21日 李氏朝鮮の両班は、利権争いばかりしていた

10月22日 派閥争いに敗れた朝鮮人は、残酷なやり方で処刑される

10月23日 朝鮮の支配層は、肉体労働を一切しない

10月24日 江戸時代に日本に来た朝鮮人使節は、泥棒をした

10月25日 李氏朝鮮は、自国の防衛のために、進んで貧しくなった

10月26日 朝鮮は貧しかったので、多数の少年と少女を支那に献上するしかなかった

10月27日 貢女も儒林も支那のスパイ組織

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