天皇陛下が統治するというのは、日本の伝統の主流ではない

憲法というのは、その国の国民が「これが国の骨格(constitutional)だ」と考えている大原則のことです。それは形式を問いません。紙に書かれた成文憲法典であっても良いし、文字にされない昔からの慣習でも良いし、イギリスのように国民が大事だと伝統的に考えていた法律や契約書の束であっても構いません。

日本人が未だに大日本帝国憲法を国の骨格だと思い続けているか否かは、日本人が総体として判断することで、学者が勝手に判断することではありません。ところがほとんどの日本人は、「大日本帝国憲法はまだ生きているのか」ということなど、考えてもいないと思います。

私自身は、大日本帝国憲法は良く考えられたもので、若干の手直しをすれば今でも十分に通用する内容を持っていると考えています。しかし、それと大日本帝国憲法が今でも存在しているか、とは別の問題だと考えます。

大日本帝国憲法は、天皇陛下が日本を統治していると規定しています。そして法律を作り勅令を発し、官吏を任命し、軍隊を統帥し、宣戦を布告し講和を締結し、条約を締結するのです。

もちろん諸大臣たちが天皇陛下を輔弼(助言)するので、陛下が助言に反する決断を下すことは通常はありません。しかし最終的な決断は天皇陛下がします。例えば、昭和20年に連合軍がポツダム宣言の受諾を日本に要求してきた時に、御前会議に出席していた重臣たちは、助言をしませんでした。そこで陛下は、自らの判断で受諾しました。

長い日本の歴史の中で、天皇陛下が自ら統治権を行使した時は、奈良時代以前を別とすれば、大日本帝国憲法が施行されていた約50年間だけです。1334年に後醍醐天皇は、鎌倉幕府を滅ぼして自ら日本を統治しましたが、わずか2年で失敗しました(建武の中興)。

明治維新のことを「王政復古」とも言いますが、これは建武の中興をもう一度やろうという考え方です。大日本帝国憲法は、550年ぶりにこの王政復古の考え方を復活させたもので、必ずしも日本の伝統の主流ではありません。

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