成文憲法典を持った国が近代国家だ、という常識が生まれた

18世紀末まで、世界中に成文憲法などありませんでした。イギリスでは、重要な法律とそうでない法律を区別する習慣があり、イギリス人だけでなくフランス人もアメリカ人も、イギリスのこの習慣を良いものだと思っていました。

1783年にアメリカが独立した時、イギリスのようにconstitutional(骨格的、憲法)なルールを持とうとしましたが、アメリカには歴史がなく、伝統的なルールがありませんでした。そこで仕方なく大勢が集まって重要だと思うルールを紙に書いたのです。これがアメリカの憲法です。

1789年に起こったフランス革命は、アメリカの独立戦争に影響されて起きたものです。だから革命フランスは、成文憲法典を作ることまでアメリカの真似をしました。そうしてできたのが、フランスの諸憲法です。

アメリカとフランスが成文憲法典を作り、ナポレオンが西欧中を征服して回ってフランス式の法体系をばらまいたために、西欧で「成文憲法典を持った国が近代国家なのだ」という新しい常識が誕生したのです。

この新しい常識が19世紀半ばになって日本にまでやってきたために、「憲法を制定して近代国家を作り、文明社会の仲間入りをしよう」と日本人も考えるようになりました。当時の西欧列強は、文明化されていない野蛮国は植民地にしても構わないと考えていました。従って憲法を持つことは日本人にとって単に望ましいというだけではなく、持たなければ国が潰れるという生き残りの条件だったのです。

だから明治の初めに、政府は憲法を作ることを国民に約束しました。そして伊藤博文を憲法制定の責任者にして、憲法草案を作らせました。大日本帝国憲法は、自由民権論者に突き上げられて嫌々作ったものではなく、積極的に制定したものだったのです。

明治以後の日本の憲法制定は、紙に書いた成文憲法典を中心に考えて行ったために、かんじんの「日本人の多くがconstitutional(骨格的)だと考えていることが、憲法なのだ」という憲法の本質が置き去りにされてしまいました。単に紙に書かれた文章が正式な憲法だというのなら、私個人だって憲法を作ることができます。

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