日本と欧米では、グローバル主義の宗教的背景が異なる

第二次世界大戦後の欧米や日本で、民族主義に反対するグローバル主義が強くなってきました。欧米と日本で似たような現象が起きていますが、その原因は異なります。

欧米のグローバル主義は、国際間の経済的結びつきが強くなり、民族主義や国境の存在が国際的なビジネスの障害になったことが原因で起きました。そして、民族主義を否定する論拠をFreedomから引き出しました。

良い商品を安く売れば、客は喜びます。だからそれは「隣人愛」なのだ、と主張するのです。安く作るには低賃金の国に工場を移転したり移民を入れる必要があります。ところがそれには強い抵抗があります。先進国では失業者が増え治安が悪化するという問題が起こり、途上国では法規や慣習が対応していないという問題があります。

Freedomには、「正しいことを行うのであれば、法律や社会の習慣を無視しても良い」という考え方も含まれているので、この理屈を援用し、マスコミや教育の力を利用してグローバル化に対する抵抗を粉砕していったのです。

欧米で失業者が増え、移民問題が大きくなったので、グーバル主義の視点でのFreedomの解釈はインチキだ、という意見が強くなりました。欧米での民族主義とグローバル主義の対立は、Freedomの考え方を巡るものです。

ところが日本のグローバル化は、誠の解釈の変更という方法ではなく、大乗仏教の利用という形で行われています。日本の大乗仏教は、「人間は、本当は仏様である。しかし、修行の足りない者には仏様と見えず、それぞれ異なった人間と見てしまう。本当は個性や性格・民族・人種の差などないのだ」と教えています。この発想はストレートにグローバル主義に結びつきます。

つまり、日本の民族主義は神道の誠から来ているのに、グローバル主義は大乗仏教からきていて、互いに根拠になる宗教が違うのです。一般の日本人は、宗教の教義を良く知らないので、自分たちの考えを自覚的に整理できていません。

そのために、グローバル主義に対してぼやっとした不安を感じているだけの状態です。日本が欧米に比べてグローバル主義への批判が弱いのは、このような理由も一因です。

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