チベットは、かつては強国だった

私たちはチベットに対して、貧しくて支那にひどい目に遭わされている可哀想な国というイメージを持っています。ところが7世紀のチベットには吐蕃という王国があって、唐と戦争をしても一歩も引きませんでした。

8世紀にはむしろ唐に対して攻勢に出ていました。領土も今のチベット自治区だけでなく、青海省・四川省・甘粛省まで広がっていて、今の三倍ぐらいの面積がありました。今でもこれらの省には多くのチベット人が住んでいます。

その後、チベットは次第に元気がなくなって支那から徐々に圧迫され、ついに今のような惨状になりました。それはインドから仏教が入ってきたからです。

7世紀に生まれたイスラム教は、仏教地域に大攻勢をかけました。シルクロード沿いの西域はもともと仏教が盛んでしたが、イスラム化しました。さらにイスラム教徒は、インドに攻め込みました。

仏教の僧侶は、人里離れた僧院の中に集団で暮らしているので、イスラム教徒にとっては格好の標的です。寺院を片っ端から襲い、僧侶を皆殺しにしました。そして指導者を失ったインド仏教は消滅しました(13世紀初め)。イスラム教によって迫害された仏教僧が北のチベットに逃げて、仏教を布教したのがチベットで仏教が盛んになった理由です。

チベットに伝わったのは主として大乗仏教でした。教義は日本の大乗仏教と同じなのですが、説明の仕方が違います。日本の大乗仏教はお経に書かれた文章で教義を説明します。ところがチベットに伝わった大乗仏教は、シンボルを多用して教義を直感的に伝えます。この伝え方をしている宗教を密教と言います。

例えば、教義を絵で説明するのがマンダラです。また、心の中で煩悩と戦っている様子を、古代インドの武器を示すことで表現します。さらには、仏教の奥義に触れて恍惚としている状態を、男女が抱き合って性的なエクスタシーに浸っている像によって表現することまでします。これがいわゆる「歓喜仏」です。

このような密教の初期のものが日本にも入っています。屈強な兵士が武器を持っている仏像やマンダラ、呪文などは日本にもあるので、これをもっと強調したのがチベット仏教だと理解すれば良いのです。

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