香港のデモは、「民主主義を守るため」ばかりではない

香港の高度な自治が支那中央政府によって突き崩されようとしている一連に事件について、何点か気がついたことがあります。

1997年に香港が支那に返還された時点では、支那中央政府は、50年間現状維持の約束をしました。しかしそれを20年もしないうちに破ろうとしています。支那人は約束を守ろうとしませんからそれだけの話なのですが、香港の価値が下がったという理由もあります。

香港返還以後、上海の発展が著しく、その分香港の重要性が薄らいできました。なにしろ、香港の人口が700万人なのに対し、上海は2500万人です。だから一国二制度などという目障りなものを潰してしまえという意見が強くなってきたのです。

支那の政府は民意など重視しないので、普通はデモがあったからといって政策を引っ込めることはしません。香港のデモについては世界中で報道され、諸外国から支那政府は批判を浴びています。しかし、支那は外国からの圧力によってその政策を変更しません。ところが、「逃亡犯条例改正」については、いったん引っ込めました。

支那が政策を急に変更するのは、内部の派閥争いが原因であることが多いです。香港の件については、まだ香港の使い道があると考える派閥が反撃に出たということです。上海のほうが総合的には重要な都市になったと言っても、直接に外国に対して開かれているのは、香港の方なのです。

2014年の「雨傘運動」の時よりも今回の「逃亡犯条例改正反対」の方がデモに参加した人数がずっと多いです。その大きな理由はアメリカの「香港政策法」にあります。1997年に香港が支那に返還された時に制定された法律で、香港を従来通り自由主義と民主主義の国として扱うことを定めており、共産主義の支那本土よりも相当優遇しています。

もしも支那が一国二制度を崩し香港を本土並みにするならば、トランプ政権は「香港政策法」を廃止して、香港を本土並みの扱いにする恐れがあります。そうなれば香港の存在価値がなくなり、ますます寂れます。

マスコミは、「香港人の民主主義を守る気持ち」を強調していますが、それ以外に住民の生活がかかっているから彼らは頑張っているという理由が大きいです。また香港は、支那の一部であって、支那と香港という二国間の争いではないことをも、認識すべきです。

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