消費税増税は、浮世離れした大乗仏教の教義から生まれた

政府の経済政策に深くかかわった学者たちは、「日本人は、経済は自然現象だから人間の意識によって変えようとしても無駄であり、また変えようとしてはならない、と考えるようになった」と言っています。

つまり、今の多くの日本人は、国家を月や野菜や昆虫と同じような「自然物」だと考えているというのです。国家という自然物が、自身の法則によって勝手に変化しているのが経済現象だから、人間が無理やり変えようとしても無駄である、というわけです。

日本人の国家観は二種類あります。一つは、「国家は人間の集団であり、人間が幸せになるように変えていかなければならない」という考え方です。幕末から明治維新にかけて、日本人はこの考え方によって積極的に国を変えようとしました。このときの志士たちはみな誠を行動原則にしたことからも分かるように、これは神道の信仰から生まれたものです。

もう一つの国家観は、今の日本人のように国家を自然物と考えるもので、これは大乗仏教の発想から来ています。日本の大乗仏教は、全てのものは仏様だと考えます。仏様は全宇宙に偏在しているのですが、欲望に惑わされた人間はそれを素直に仏様とは見ずに、様々な「もの」に見えてしまう、と考えるのです。そして、豊かになろうなどと言う物欲から国家を考えてはならない、というわけです。

昔の日本人は、神道の国家観で現実社会を考えていました。明治維新がそうです。ところが、自由と平等を憲法で規定したことがきっかけになって、日本人は大乗仏教の国家観で現実社会を考えるようになりました。欧米の国家の原則であるFreedomとEqualityを自由と平等と訳したのですが、これらの訳語が仏教用語だったのです。

FreedomやEqualityはキリスト教の信仰から生まれたもので、現実社会の中で人間はどのように振る舞ったら良いのか、を規定しています。ところが自由と平等は、仏教僧が出家して世間から離脱した状態でどのように振る舞ったらよいのか、を規定しています。両者はまったく考え方が違うのです。

憲法が規定する自由と平等が仏教用語なので、日本人は国家を仏教の発想で考えるようになってしまいました。特に戦後にこの傾向が著しくなりました。その結果、「国家は自然物であり、豊かになろうなどと言う物欲から国家を変えようとしてはならない」ということになってしまったのです。

いま日本は、現実を直視せず浮世離れした仏教の教義に影響されて、消費税を増税し経済的破綻に向かいつつあります。これを何とか、阻止しなければなりません。

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