朝鮮通信使

「朝鮮通信使」というのは学者がつけた用語で、江戸幕府は「朝鮮来聘使」と呼んでいました。「来聘」は「貢物を持ってやってくる」ということですから、朝貢と同じ意味です。

では「朝鮮は日本に朝貢外交をしたのか」というとそういうわけでもありません。「朝鮮来聘使」は非常にあいまいな使節団です。

「朝鮮来聘使」は、朝鮮国王が徳川将軍に派遣した使節団で、天皇陛下には謁見していません。これを東アジアの国際関係の中で見ると、支那の皇帝の家来である朝鮮国王が、天皇陛下の家来である徳川将軍のご機嫌伺いに来た、ということになります。

徳川将軍はご機嫌伺いを受けるだけで答礼使を出していないので、徳川将軍の方が上位に立っています。

朝鮮国王も徳川将軍も、自分たちの後ろに主君がいることをわざとあいまいにして、家来同士で勝手に交際していた、ということなのです。

この小細工は、明治になって問題が表面化し、大騒動を引き起こしました。明治になって日本は、天皇陛下が外務大臣を通じて諸外国と外交をする体制になりました。そこで天皇陛下は朝鮮国王に使いを出して、「今後は自分が外交をする」と通知しました。

これに対して朝鮮側は猛烈に抵抗しました。日本以外の東アジアでは支那の皇帝が至高の存在で、同格の者を認めません。支那の皇帝の家来である朝鮮国王が天皇陛下の存在を認めて国交を持つということは、支那の皇帝への裏切りになります。

そこで朝鮮側は、「文書の形式が従来と違う」「天皇などという称号を認めない」「内容が無礼だ」などと言って、天皇陛下の使いを追い返してしまいました。

このような朝鮮側の態度に怒ったのが、尊王思想に基づいて維新を起こした明治政府の指導者たちです。これが征韓論が起きた原因です。

日本も朝鮮も国の成り立ちのもっとも本質的な部分を避けて表面的なことだけをやっていたわけで、朝鮮通信使の来日は決して国交ではありません。

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