毛沢東の女たち

Googleなどの検索エンジンで「毛沢東」を検索すると、「毛沢東性豪」「毛沢東色情狂」などという記事がヒットします。それだけ今の日本では、毛沢東が女好きだったことが広く認知されています。

毛沢東は四回結婚しています。初めの三回の結婚は、妻が病死したり、殺されたり、精神病になって離婚したということになっています。実際はどうなのか分かりませんが、毛沢東も表面はきちんと取り繕っています。四番目が女優だった江青です。

毛沢東が江青と結婚したのは1939年で、この時点では支那共産党は、山奥に逼塞している状態でした。共産党の内部で毛沢東が権力を確立したわけでもなかったので、この時点で毛沢東が多くの愛人をはべらすことは、無理でした。

1949年に、支那共産党は蒋介石の国民党を台湾に追い落とし、本土を統一しました。そして毛沢東は支那の実質的な皇帝になりました(毛沢東は56歳)。この時点から、毛沢東はこっちの方面でも活躍を始めたようです。

側近たちは、毛沢東に女を提供するシステムを作り上げました。若い女を集め、ダンスパーティーを催しました。そこには毛沢東の側近など大勢の男も参加したらしいのですが、みんなこのパーティーの目的を知っているので、毛沢東の情婦になる予定の女とダンスするというリスクを犯したでしょうか。

毛沢東が若い娘とワルツやタンゴを踊る場面を、私も見たかったです。ダンスホールの横に別室があり、そこに大型のベッドが置かれていて、毛沢東は気に入った女を連れ込んだそうです。

側近たちは、毛沢東に提供する女を厳選しました。毛沢東を神のように崇める娘を選んだということです。共産党によってやっと良い生活を送れるようになった家の娘が、毛沢東を崇めるので、結果的に貧農の娘たちが選ばれました。

女優やプロの女なども提供したことがありましたが、毛沢東はそういう女たちを好かなかったそうで、とにかく若くて何も知らない娘を好んだということです。

以下はひと続きのシリーズです。

3月1日 『毛沢東の私生活』を読みました

3月2日 『毛沢東の私生活』の著者は、特異な育ち方をした

3月3日 李志綏は、嫌々ながら毛沢東の主治医を22年間つとめた

3月4日 李志綏はやはり、その出自から思想的に疑われていた

3月5日 毛沢東は、自分の主治医を選ぶのに、他人任せにしなかった

3月6日 毛沢東は人たらしである

3月7日 毛沢東は、相手の弱点を握って服従させた

3月8日 毛沢東が江青を堕落させた

3月9日 晩年の毛沢東は、パラノイアだった

3月10日 毛沢東は、他人の苦しみを見ても平然としていた

3月11日 支那人は人間関係がすべて

3月12日 毛沢東の死は、政治的な大事件だった

3月13日 毛沢東の女たち

3月14日 毛沢東は、支那がまっとうな共産主義国家であることを証明するために、大躍進運動を始めた

3月15日 大躍進運動が失敗し、5000万人が餓死した

3月16日 大躍進運動の失敗により、毛沢東の権力基盤が揺らいだ

3月17日 毛沢東は文化大革命を始めて、自分の権力を奪還しようとした

3月18日 文化大革命により、多くの人が死に、若者は教育を受けなかった

3月19日 毛沢東は、共産党の官僚たちをやっつけるために軍隊も使った

3月20日 毛沢東は劉少奇と鄧小平を失脚させ、林彪を後継者にした

3月21日 毛沢東と後継者の林彪は、互いに相手を疑って殺そうとした

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