皇帝制度があるから、大勢の支那人が死ぬ

皇帝制度があるから、大勢の支那人が死ぬ

王朝末期の内乱による苦しみがあまりに大きいために、群雄の争いに決着がついて新しい皇帝が誕生したとき、支那の農民たちは、「これで内乱が終わる」と歓喜するのです。ところがその皇帝の子孫が悪政を行って内乱が起き、大勢の支那人が死にます。支那の歴史はその繰り返しです。

皇帝制度は、支那人にとって良い制度ではない

皇帝制度は、支那人にとって良い制度ではない

宦官などの側近が賄賂で政治を行うため、その賄賂をねん出するために地方官が庶民に重税を課すようになります。重税に耐えられない農民たちは、耕作を放棄して流民となり、各地の治安を悪化させ、経済を悪化させます。そしてついに反乱が起こり、群雄が互いに争い、このトーナメントに勝ち残った者が次の王朝を作ります。その過程で農民たちは大変な苦しみを味わい、半分以上の者が死ぬことになります。

毛沢東にとっては、国民の半分が死ぬのは当たり前のことだった

毛沢東にとっては、国民の半分が死ぬのは当たり前のことだった

毛沢東が原爆を開発しようとした時、「そんなことをしたらソ連やアメリカなど支那を敵視する国に原爆を落とされて支那人の半分が殺されてしまう」という反対意見がありました。これに対して毛沢東は、「支那人は繁殖力が強いから、生き残った半分がまた増える。」と言いました。

毛沢東と後継者の林彪は、互いに相手を疑って殺そうとした

毛沢東と後継者の林彪は、互いに相手を疑って殺そうとした

林彪は毛沢東の後継者に指名されましたが、それでも不安でした。そこで国家主席のポジションを復活させ、その地位に就くことで毛沢東の後継者の地位を確実なものにしようとしました。ところが、毛沢東は国家主席のポジションに林彪を就けることは考えておらず、両者の関係は険悪になっていきました。

文化大革命により、多くの人が死に、若者は教育を受けなかった

文化大革命により、多くの人が死に、若者は教育を受けなかった

文化大革命の末期になると、毛沢東も紅衛兵を持て余し、彼らを田舎に追放することにしました。これが「下放」という制度です。表向きは、田舎の農村で農民たちと生活を共にすることで思想改造を図るということにしました。都会の高校生など仕事の役に立たず、理屈をこねるだけで、農民にとって迷惑至極なものでした。